
建仁寺|観光の魅力・歴史・アクセス方法・営業時間を写真&動画でチェック!
基本情報
- 名称
- 建仁寺 (けんにんじ)
- 所在地
- 〒605-0811 京都府京都市東山区大和大路通四条下ル小松町584
- アクセス
- 京阪本線祇園四条駅から徒歩7分
- 駐車場
- 駐車場 あり 普通車43台
- 営業時間
- 10:00~16:30(閉門17:00)、11~翌2月は~16:00(閉門16:30)
- 定休日
- 4/19~4/20、6/4~6/5その他、法要のため休止日有り
- 料金
- 境内無料、方丈・法堂800円
- 連絡先
- 電話番号:075-561-6363
- 公式サイト
マップ
詳細情報
建仁寺は、京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の大本山で、京都最古の禅寺として知られています。建仁2年(1202年)、宋から帰国した栄西禅師が、中国・百丈山の禅風を模して創建しました。寺名は当時の元号「建仁」にちなみ、鎌倉幕府二代将軍・源頼家が寺域を寄進したことによって建立が実現しました。
創建当初は、禅・天台・密教の三宗兼学の道場として構えられ、当時の宗教情勢に柔軟に対応していました。その後、正嘉元年(1258年)には東福寺の開山・円爾弁円が一時的に入寺して境内復興に努め、さらに正元元年(1259年)には宋の禅僧で建長寺の開山でもある蘭渓道隆が一時滞在したと伝えられています。こうした流れの中で、建仁寺は次第に禅の作法と規則を厳格に備えた、純粋な禅道場としての姿を確立していきました。
室町時代には、室町幕府により中国の制度にならった「京都五山」が制定され、その第三位に列せられて幕府の厚い保護を受け、大いに栄えました。しかし、戦乱や度重なる火災によって伽藍の多くが焼失し、とくに天文年間(16世紀中頃)の大火では甚大な被害を受けたとされます。
その後、安土桃山時代の慶長4年(1599年)、安芸の安国寺から移築された方丈によって復興が始まり、江戸時代には徳川幕府からの保護のもとで諸堂が整備され、制度や学問も確立されました。明治時代には政府の宗教政策により、臨済宗建仁寺派として独立し、同派の大本山となりました。また、廃仏毀釈などの影響により、塔頭の統廃合が進み、境内の規模もかつての半分ほどに縮小されました。
建仁寺の伽藍は、勅使門を正面に三門、法堂、方丈が一直線に並ぶ禅宗寺院の典型的な構成です。正門にあたる勅使門は、鎌倉時代後期の様式を伝える銅板葺・切妻造の四脚門で、国の重要文化財に指定されています。門柱や扉に残る戦乱の矢痕から、「矢の根門」または「矢立門」とも呼ばれています。
法堂は明和2年(1765年)の再建で、五間四間、一重、裳階付きの仏殿建築です。天井には、創建800年を記念して2002年に画家・小泉淳作氏が描いた巨大な「双龍図」があり、畳108枚分に相当する迫力ある天井画は訪れる人々を圧倒します。
北側に位置する方丈は、安芸の安国寺から移築されたもので、桃山時代の特徴を色濃く残す重要文化財です。内部には、海北友松による襖絵全50面が残されており、荘厳な空間を演出しています。方丈の前庭には、白砂を敷き詰めた枯山水庭園「大雄苑」があり、禅の静けさと洗練された美意識を感じさせてくれます。
また、本坊には俵屋宗達作と伝わる国宝「風神雷神図屏風」の高精細複製画が展示されており、海北友松の作品とともに鑑賞することができます。原本はいずれも京都国立博物館に寄託されています。
文化面では、毎年4月20日に「四ツ頭茶会」が開催されます。これは建仁寺の開山・栄西禅師の誕生日にあたる日で、栄西が日本に茶種を持ち帰り、喫茶の風習を広めたことにちなんだ行事です。伝統的な「四頭式」の作法による格式高い茶会で、多くの茶人や参拝者が集います。
また、毎月第2日曜日の朝には、坐禅体験会「千光会」が行われています。朝7時30分から2時間にわたり坐禅が行われ、その後には法話も聞くことができ、一般の方々にも禅の精神に触れる貴重な機会となっています。修学旅行などの団体も、事前相談によって体験が可能です。
境内には、霊洞院など14の塔頭が点在し、非公開のものもありますが、一部の塔頭や庭園、茶室などは一般に公開されています。これらを巡ることで、建仁寺の多層的な魅力と、禅の世界観をより深く感じ取ることができます。
このように建仁寺は、日本最古の禅寺としての歴史に加え、建築・絵画・庭園・茶道・坐禅といった多様な文化要素が融合した京都屈指の名刹です。静けさと格式を兼ね備えたその佇まいは、訪れる人々に深い感銘と癒やしを与えてくれます。