毛越寺

毛越寺|観光の魅力・歴史・アクセス方法・営業時間を写真&動画でチェック!

毛越寺は、中尊寺と並ぶ世界文化遺産で、特別史跡・特別名勝として国から二重の指定を受ける珍しい寺院です。慈覚大師円仁が開山し、奥州藤原氏の二代基衡と三代秀衡により造営されたこの寺は、かつて堂塔40、僧坊500を擁し、中尊寺をしのぐ規模と華麗さを誇っていました。しかし、奥州藤原氏の滅亡後、災禍で建物は焼失しました。現在大泉を中心とした浄土庭園や平安時代の伽藍遺構が保存されています。庭園は、仏の世界を象徴する浄土思想が色濃く反映され、大泉が池の周りには平安時代の庭園技術が継承されています。四季折々の花々が寺を彩り、特に初夏のあやめまつりや初秋の萩まつりは見どころです。ここでの坐禅や写経体験は、日常の喧騒を忘れ、心を落ち着ける最高の機会となるでしょう。

基本情報

名称
毛越寺 (もうつうじ)
所在地
〒029-4102 岩手県西磐井郡平泉町平泉字大沢58
アクセス
JR東北本線平泉駅より毛越寺まで徒歩7分
東北自動車道平泉・前沢ICから約10分
駐車場
330台
営業時間
拝観時間/午前8時30分〜午後5時
※11月5日~3月4日は午前8時30分~午後4時30分
定休日
年中無休
料金
大人700円 
高校生400円 
小・中学生200円
連絡先
電話番号:0191-46-2331
公式サイト

マップ

詳細情報

毛越寺は、岩手県平泉町にある天台宗の名刹で、中尊寺と並び世界文化遺産「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」の一つとして登録されています。国から「特別史跡」と「特別名勝」の二重指定を受けている、全国的にも大変貴重な寺院です。

歴史
毛越寺は、嘉祥3年(850年)に慈覚大師円仁によって開山されたと伝えられています。その後、奥州藤原氏二代・基衡(もとひら)、三代・秀衡(ひでひら)によって大規模に造営されました。最盛期には堂塔40、僧坊500を数え、中尊寺をしのぐほどの規模と華麗さを誇っていたといわれ、『吾妻鏡』には「霊場荘厳吾朝無双」と記されています。
しかし、奥州藤原氏の滅亡後、度重なる災禍によってすべての建物が焼失し、現在は伽藍遺構と庭園が残されています。平成元年(1989年)には、平安様式を取り入れた「本堂(薬師堂)」が再建され、寺の精神が現代に受け継がれています。

創建伝説
寺伝によると、円仁が東北を巡遊していた際、一面の霧に覆われ足止めされた時に白鹿に導かれ、この地で薬師如来の化身とされる白髪の老人に出会いました。その老人に「この地に堂宇を建立せよ」と告げられ、円仁は一宇を建て「嘉祥寺」と号したのが始まりとされています。後に「毛越寺」と呼ばれるようになりました。

浄土庭園
毛越寺の最大の見どころは「大泉が池」を中心とした浄土庭園です。庭園の作者は不明ですが、平安時代の作庭書『作庭記』に基づく意匠が随所に見られ、仏の世界=浄土を地上に表現した名園として知られています。
池の中央には勾玉状の中島が配され、かつては反り橋で南大門と結ばれていたといわれています。池の周囲には海岸線を表現した「洲浜」、断崖を模した「築山」、荒磯を思わせる出島や立石などが配置され、自然の景観を取り入れた典雅な造りになっています。特に東南岸の荒磯風の出島は庭園の白眉とされ、水面に立つ高さ2m余りの立石が景観を引き締めています。
また、平安時代の庭園遺構としては全国的にも極めて珍しい「遣水(やりみず)」が現存しており、ここでは毎年5月に平安装束をまとった人々が盃を浮かべて和歌を詠む「曲水の宴」が再現されています。この庭園は「浄土思想の理想と、日本古来の自然観との融合を示すもの」として高く評価されています。

文化と行事
毛越寺では、法会の後に行われる歌舞「延年」が伝承されており、「田楽踊」「路舞」「祝詞舞」「老女舞」のほか、「花折」「勅使舞」など十数番が伝わっています。これらは国の重要無形民俗文化財に指定されており、近年では「留鳥(とまりどり)」の舞も復元されています。
また、坐禅や写経の体験も行われ、訪れる人々に静寂の中で心を整える機会を与えています。

四季の魅力
毛越寺は四季折々の花々に彩られ、多くの参拝者を魅了します。初夏には「毛越寺あやめまつり」、初秋には「萩まつり」が開催され、庭園を美しく彩る花々とともに、歴史と自然が織りなす幽玄の世界を堪能できます。

毛越寺は、平安時代の栄華を今に伝える貴重な文化財であり、浄土思想の世界を実際に体感できる数少ない場所です。庭園を歩けば、平安貴族が夢見た理想の仏国土を現代に感じ取ることができ、訪れる人々に深い感動と静けさを与えてくれます。

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