西郷隆盛銅像

西郷隆盛銅像|観光の魅力・歴史・アクセス方法・営業時間を写真&動画でチェック!

AI要約

西郷隆盛銅像はどんな場所?

AIによる要約です。営業時間・料金・休館日は公式情報をご確認ください。

西郷隆盛の威厳を感じる、鹿児島らしさの象徴的スポットです。

城山を背に立つ西郷隆盛銅像は、鹿児島の歴史と明治維新を象徴する見学スポットです。屋外で気軽に立ち寄れ、道路向かいの撮影広場から全身を見やすいのも魅力。周辺の史跡と合わせると、鹿児島の近代史を短時間でたどれます。

こんな人におすすめ

  • 歴史好き
  • 鹿児島観光
  • 短時間観光
  • 写真撮影
  • 西郷隆盛に興味がある人

見どころ3選

1

西郷隆盛を象徴する銅像

陸軍大将の制服姿で立つ堂々とした姿が印象的です。

2

撮影しやすい立地

道路向かいに撮影広場があり、全身を収めやすいです。

3

周辺観光と組み合わせやすい

黎明館や鹿児島城跡など、近くの史跡巡りに向いています。

行く前の注意点

  • 横断歩道を使って撮影広場へ移動すると安心です。
  • 全景を撮るなら道路向かいからの撮影がおすすめです。
  • 周辺の歴史スポットと一緒に回ると満足度が上がります。

おすすめの回り方

西郷隆盛銅像を見学したあと、黎明館や鹿児島城跡へ回ると流れがよいです。

鹿児島が生んだ偉人・西郷隆盛の銅像は、城山の頂上付近に凛々しく立っています。明治維新の立役者として名高い西郷ですが、鹿児島に戻り、最後は西南戦争で敗北、自ら命を絶ちました。この銅像は昭和12年、鹿児島出身の彫刻家・安藤照が8年をかけて制作したもので、本体の高さは5.76メートル、総高さは約8メートルです。陸軍大将の制服姿で堂々とした姿が特徴です。道路を挟んで撮影スポットもあり、愛犬の像と共に写真を撮ることができます。

基本情報

名称
西郷隆盛銅像 (さいごうたかもりどうぞう )
所在地
〒892-0853 鹿児島県鹿児島市城山町4
アクセス
JR鹿児島中央駅から鹿児島交通まち巡りバスで10分、西郷銅像前下車すぐ
市電「朝日通」から徒歩約8分
駐車場
周辺の有料駐車場をご利用ください。
営業時間
見学自由
連絡先
電話番号: 099-298-5111
公式サイト
キーワード

マップ

詳細情報

西郷隆盛銅像は、鹿児島県鹿児島市城山町に立つ、鹿児島を代表する歴史的モニュメントです。城山の緑を背に、陸軍大将の制服姿で堂々と立つ姿は、明治維新の中心人物として活躍した西郷隆盛の力強さと威厳を表現しています。鹿児島市街地の中心部に位置し、周辺には鹿児島市立美術館、鹿児島県歴史・美術センター黎明館、鹿児島城(鶴丸城)跡などがあるため、鹿児島の歴史を巡る観光の代表的な立ち寄り場所となっています。

西郷隆盛は、文政10年12月7日、新暦では1828年1月23日に、薩摩藩鹿児島城下の下加治屋町で生まれました。幼名は小吉といい、成長後は吉之助などの名を用いました。西郷の本来の諱は「隆永」でしたが、明治維新後の位階申請の際、誤って父親の諱である「隆盛」が届け出られたため、その後「西郷隆盛」の名が用いられるようになったと伝えられています。

西郷は、薩摩藩独自の青少年教育である郷中教育の中で育ちました。郷中教育とは、地域の年長者が年少者を指導し、学問や武術、礼儀、仲間との結び付きなどを教える仕組みです。西郷もこの環境の中で、年長者を敬う精神や強い責任感、仲間を大切にする姿勢を身に付けたと考えられています。

若い頃は薩摩藩の下級武士で、藩の農政に関係する仕事などに携わっていました。農村の実情を目にした西郷は、農民の生活改善を求める意見書を藩へ提出します。その行動力や人柄が藩主・島津斉彬の目に留まり、庭方役に取り立てられたことで、西郷の人生は大きく変わりました。

斉彬に仕えた西郷は、江戸と京都を往来しながら、将軍継嗣問題に関する連絡や情報収集などを担当しました。斉彬のもとで有力な公家や諸藩の人物と交流し、幕末の複雑な政治情勢に深く関わるようになります。

しかし、1858年(安政5年)に斉彬が急死すると、西郷は大きな後ろ盾を失いました。同じ頃、安政の大獄によって幕府から追われていた僧・月照を薩摩へ伴いましたが、藩から月照を保護できないと告げられます。追い詰められた二人は、同年、錦江湾の竜ヶ水沖で入水しました。月照は亡くなりましたが、西郷は救助されました。

その後、西郷は藩命によって奄美大島で潜居生活を送り、「菊池源吾」という名を用いました。奄美大島では島の女性・愛加那と家庭を持ち、島の人々と交流しながら生活しました。一度薩摩へ戻った後、藩の実権を握っていた島津久光と対立して再び遠島となり、徳之島を経て沖永良部島へ送られました。

沖永良部島では、当初、雨風が吹き込む厳しい牢に入れられ、命の危険にさらされました。その後、待遇が改善され、島の人々に学問を教えるなどして交流を深めました。二度にわたる離島生活は、西郷の思想や人間観に大きな影響を与えたと考えられています。

赦免されて薩摩藩へ戻った西郷は、幕府と長州藩の対立が深まる中で、再び重要な役割を担います。当初、西郷は幕府側の立場で第1次長州征討に関わりましたが、やがて幕府政治の限界を認識し、薩摩藩と長州藩の関係改善に動きました。

坂本龍馬や中岡慎太郎らの仲介もあり、1866年(慶応2年)、西郷と長州藩の木戸孝允らとの間で薩長同盟が成立しました。この同盟は、幕府による長州再征への対応や武器調達などで相互に協力することを定めたもので、その後の倒幕運動へつながる大きな転機となりました。

1868年(慶応4年・明治元年)に始まった戊辰戦争では、西郷は新政府軍の中心人物となりました。新政府軍が江戸へ迫り、総攻撃が計画される中、山岡鉄舟らによる事前交渉を経て、西郷は幕府側の勝海舟と会談しました。その結果、江戸城総攻撃は中止され、江戸城は大規模な戦闘を伴わず新政府へ明け渡されました。これが「江戸城無血開城」です。

江戸城無血開城は西郷と勝の二人だけで実現したものではなく、山岡鉄舟らの交渉、徳川慶喜の恭順姿勢、和宮や篤姫を通した働きかけなど、多くの人々の努力が関係していました。その中でも、西郷と勝の最終的な会談は、江戸の町を大規模な戦火から守るうえで重要な役割を果たしました。

明治新政府成立後、西郷は参議や陸軍大将などの要職に就きました。廃藩置県をはじめ、新しい国家体制を整える政策に関わり、日本で最初の陸軍大将になったとされています。

しかし、朝鮮との国交問題を巡り、西郷は自らを使節として朝鮮へ派遣するよう主張しました。欧米視察から帰国した岩倉具視や大久保利通らは、国内政策を優先すべきだとして派遣に反対します。意見の対立は解消されず、西郷は1873年(明治6年)の明治六年政変で政府を辞職し、鹿児島へ帰郷しました。

鹿児島に戻った西郷は、私学校の設立などを通して若者の教育に関わりました。自身は狩猟や農作業をしながら比較的静かな生活を送っていましたが、私学校には政府の政策に不満を持つ士族が集まるようになります。

政府と私学校勢力との緊張が高まる中、1877年(明治10年)、政府の火薬庫を襲撃した私学校生徒らが蜂起しました。西郷が当初から反乱を計画していたとは考えにくいものの、最終的には彼らの先頭に立ち、西南戦争へ進みました。

薩軍は熊本城を包囲した後、九州各地で政府軍と戦いました。しかし、徴兵制によって編成され、豊富な兵員や武器、物資を持つ政府軍に押され、次第に敗退します。西郷らは宮崎県方面を経て鹿児島へ戻り、最後は城山に立てこもりました。西南戦争は、日本国内における最後の大規模な内戦として知られています。

1877年9月24日、政府軍が城山への総攻撃を開始しました。西郷は残った薩軍の将兵とともに岩崎谷方面へ下る途中、腰や太ももに銃弾を受けたとされています。その後、側近の別府晋介の介錯によって最期を遂げたと伝えられています。満49歳でした。

西郷の最期については、介錯の詳しい状況など、史料上明確ではない部分もあります。そのため、「西郷が自ら命を絶った」と単純に説明するのではなく、銃撃を受けた後、別府晋介の介錯によって亡くなったと伝えられている、とするのが適切です。

西郷隆盛銅像は、1927年(昭和2年)に迎えた没後50年祭の記念事業として計画されました。制作を担当したのは、鹿児島市出身の彫刻家・安藤照です。安藤は東京美術学校で彫刻を学び、戦前に東京・渋谷駅前へ設置された初代「忠犬ハチ公像」の作者としても知られています。

初代ハチ公像は戦時中の金属供出によって失われました。現在の渋谷駅前にあるハチ公像は、安藤照の息子・安藤士が戦後に制作した二代目の像です。

安藤照は、西郷隆盛銅像の制作に約8年を費やしたとされています。西郷本人を写したと確実に認められる写真は、現在まで確認されていません。そのため、銅像は親族の顔立ちや既存の肖像画、関係者に伝わる西郷の容貌などを参考に制作されたと考えられています。

西郷の姿として広く知られる肖像画には、イタリア人画家エドアルド・キヨッソーネが描いた作品があります。この肖像画は、西郷本人を直接見て描いたものではなく、弟の西郷従道や従弟の大山巌の顔立ちなどを参考にしたとされています。ただし、この肖像画の制作方法と、安藤照による銅像の具体的な制作過程は、区別して考える必要があります。

銅像は1937年(昭和12年)5月23日に完成しました。設置者は南洲神社50年奉賛会です。銅像本体の高さは5.76メートルで、台石を含めると約8メートルになります。城山の緑を背景に立つ巨大な姿は、道路の反対側から眺めても強い存在感があります。

銅像の西郷は、陸軍大将の制服姿で表現されています。軍帽を手に持ち、両足を大きく開いて正面を見据える、堂々とした立ち姿が特徴です。華美な動きを加えず、どっしりと立つ姿によって、西郷の強い意志や指導者としての風格が表現されています。

東京・上野公園にある西郷隆盛像が、筒袖の着物に兵児帯を締め、犬を連れた親しみやすい姿であるのに対し、鹿児島の銅像は陸軍大将の制服を着た公的な姿です。上野の像が庶民に親しまれた「西郷どん」の印象を伝える一方、鹿児島の像は、明治維新や近代国家の形成に関わった軍人・政治家としての一面を強く示しています。

銅像が立っているのは城山の頂上ではなく、城山東側の麓に当たる城山町です。また、西郷が最期を迎えた場所そのものに銅像が立っているわけではありません。「西郷隆盛終焉の地」は、銅像から離れた城山北東側の岩崎谷にあります。その近くには、西郷が西南戦争最後の5日間を過ごしたと伝えられる「西郷洞窟」も残されています。

銅像の道路を挟んだ向かい側には、「西郷隆盛銅像撮影ひろば」が設けられています。銅像の全身と城山の緑を一枚の写真に収めやすい場所で、カメラを置くための撮影台も用意されています。

撮影広場には、西郷の愛犬をイメージした犬の像もあります。犬の像と並び、道路の向こうに立つ西郷隆盛銅像を背景に記念撮影を楽しめます。銅像のすぐ近くから見上げると全体が写真に入りにくいため、撮影には道路向かいの広場が適しています。

銅像は屋外にあり、無料で見学できます。周辺に明確な入場時間は設けられていませんが、像の前には交通量のある道路が通っています。撮影広場へ移動する際は、必ず横断歩道を利用し、安全を確認することが大切です。落ち着いて見学・撮影するなら、周囲が明るい日中がおすすめです。

アクセスは、市内観光バス「カゴシマシティビュー」の「西郷銅像前」停留所を下車してすぐです。鹿児島市電を利用する場合は、「朝日通」電停から徒歩約8分です。鹿児島中央駅から市電やバスを利用できるため、公共交通機関で訪れやすい場所です。バスの運行時刻や経路は変更される可能性があるため、訪問前に最新情報を確認すると安心です。

周辺には、西郷隆盛や薩摩藩、明治維新について学べる施設や史跡が集まっています。すぐ近くには、鹿児島市立美術館、かごしま近代文学館・かごしまメルヘン館、鹿児島県立博物館があります。少し北へ進むと、鹿児島城(鶴丸城)の本丸跡に建つ鹿児島県歴史・美術センター黎明館や、復元された鹿児島城御楼門を見学できます。

西南戦争との関係をより深く知りたい場合は、私学校跡の石垣に残る銃弾跡、西郷洞窟、西郷隆盛終焉の地を巡るのがおすすめです。さらに、城山自然遊歩道を歩いて城山展望台へ向かえば、桜島と錦江湾、鹿児島市街地を一望できます。銅像と周辺の史跡を順に訪ねることで、西郷の最期と西南戦争の展開を、実際の地形と結び付けながら理解できます。

西郷隆盛銅像は、単なる記念撮影の場所ではありません。明治維新を進めた指導者、新政府の要職を離れて鹿児島へ戻った政治家、若者の教育に関わった人物、そして西南戦争で政府軍と戦った薩軍の指導者という、西郷隆盛の複雑な生涯について考えるきっかけを与えてくれる場所です。

城山を背に立つ陸軍大将姿の銅像を見上げ、周辺に残る鹿児島城跡や西南戦争の史跡を巡ることで、西郷隆盛が生きた幕末から明治初期の激動を、より身近に感じられます。鹿児島の人々から「西郷どん」と親しみを込めて呼ばれる人物の功績と葛藤を伝える、鹿児島市を代表する歴史スポットです。

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