浜松城

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浜松城は日本の歴史に深く根ざす城の一つです。1504年から始まった築城は、徳川家康が1570年に入城し、17年間をこの城で過ごしました。浜松城は家康にとって出世の足掛かりともなりました。家康が駿府に移るまでの間、この城は彼の拠点としての役割を果たしました。
城の築城法は「梯郭式」と呼ばれ、三方原台地の斜面に沿って配置されています。最高所には天守曲輪があり、その他にも本丸、二の丸、三の丸が階段状に配置されています。この城の形態は他の城とは異なり、「梯郭式」の特徴を持っています。
現在の浜松城の天守閣は、地元の住民の寄付によって1959年に再建されました。この天守閣は実際の天守台よりも大きいと推定されており、城の歴史や家康の生涯についての展示が行われています。また、展望台からは浜松市街を一望でき、城内には家康や浜松の歴史に関連する資料や武具なども展示されています。
浜松城の歴史的な重要性は、家康の出世に深く関連しており、彼の生涯における重要な出来事や合戦もこの城と結びついています。元亀3年(1572年)の三方ヶ原の合戦は、特に記憶に残る敗戦であり、家康が生涯を通じて忘れなかった出来事とされています。城内には合戦の歴史的な場所や出来事に関する情報も展示されています。
浜松城は、徳川家康の重要な拠点であり、彼の歴史における重要な節目を体験できる場所として多くの人々に訪れられています。城とその歴史的な価値は、現代にもしっかりと伝えられています。



基本情報

名称
浜松城 (はままつじょう)
所在地
〒430-0946 静岡県浜松市中区元城町100-2
アクセス
JR東海道新幹線浜松駅から遠鉄バス浜松市役所方面行きで5分、市役所前下車、徒歩3分
駐車場
駐車場 あり
営業時間
8時30分~16時30分
定休日
12月29日~12月31日
料金
大人(高校生以上)150円、中学生以下無料
連絡先
電話番号:053-453-3872
公式サイト
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詳細情報

浜松城の歴史
徳川家康が築いた浜松城は、天下統一への足がかりとなった「出世城」です。
▶浜松城築城の経緯
永禄11年(1568)、三河から東進し、今川領の制圧を開始した徳川家康。家康は、駿府に攻め込んできた武田信玄の侵攻に備え、遠州一帯を見渡せる三方ヶ原の丘に着目しました。天下を盗るためには、まず信玄を倒さなければならないと判断した家康は、元亀元年(1570)、岡崎城を長男の信康に譲り、三方原台地の東南端に浜松城を築城、駿遠経営の拠点としました。
▶築城様式
徳川家康の築いた浜松城の城郭は南北約500m、東西約450m。三方ヶ原台地の斜面に沿い、西北の最高所に天守曲輪、その東に本丸、二の丸、さらに東南に三の丸と、ほぼ一直線に並ぶ、「梯郭式」の築城法をとっています。「梯郭式」とは、各曲輪が隣接しながら、階段状になっている様式のことで、本丸の背後が自然の防衛線になるような城に多く見られます。
▶家康の在位期間にあった戦い
徳川家康は29歳~45歳までの17年間を浜松城で過ごしました。有名な姉川、長篠、小牧・長久手の戦いもこの期間中の出来事で、特に元亀3年(1572)の三方ヶ原の合戦は、関ヶ原の合戦以上の激闘であったと伝えられています。家康にとって、浜松在城17年間は、徳川300年の歴史を築くための試練の時代だったと言えるでしょう。
▶三方ヶ原の合戦
三方ヶ原の合戦は、元亀3年(1572)、武田信玄と徳川・織田連合軍が浜松市郊外の三方ヶ原台地で激突した戦いで、家康の生涯で最大の敗戦と言われています。武田軍3万人に対して家康軍はわずか1万人足らず。これでは勝負にならないと兜を脱いだ家康は、家臣に化けて命からがら浜松城に逃げ帰ったのでした。城に帰った家康は、敗戦直後の意気消沈した自分の顔の絵を描かせ、生涯この絵を大切にし、敗北を自戒したと伝えられています。
合戦の夜、家康はなんとか一矢を報いようと、三方ヶ原台地の南端にある犀ヶ崖で夜営していた武田軍を奇襲。崖に白い布を架けて橋と見せかけ、地理に疎い武田軍は次々と崖下に転落したと伝えられ、いまも「布橋」という地名が残っています。現在、犀ヶ崖では、毎年7月15日に三方ヶ原合戦の死者を供養するために「遠州大念仏」という郷土芸能が奉納され、市の無形文化財に指定されています。
小豆餅と銭取
浜松市内には、三方ヶ原の合戦にまつわる地名が残っています。たとえば、「合戦に敗れた家康軍は逃げ帰る途中に空腹をおぼえ、1軒の茶屋に寄って小豆の餅を食べていました。そこへ追ってきたのが武田軍。家康は慌てふためき代金も払わず茶屋を飛び出しました。驚いた茶屋の老婆は、数キロ先まで追いかけて、代金をもらうことに成功しました」…そんなことから、この茶屋のあった場所を「小豆餅(あずきもち)」、老婆がお餅の代金を受け取った場所を「銭取(ぜにとり)」と呼ぶようになったそうです。
▶家康が去ったあとの浜松城
徳川家康が駿府城に移ったあとの浜松城は、代々の徳川家とゆかりの濃い譜代大名が守りました。歴代城主の中には幕府の要職に登用された者も多いことから、浜松城はのちに「出世城」と呼ばれるようになりました。明治維新後、城郭は壊され荒廃していましたが、昭和33年、野面積みの旧天守台の上に新天守閣を再建、翌年には浜松市の史跡に指定されました。
▶出世城の言われ
浜松城には、藩政260年の間に25代の城主が誕生しました。在城中に幕府の要職に就いた者も多く(老中5人、大坂城代2人、京都所司代2人、寺社奉行4人※兼任を含む)、浜松城は「出世城」と言われるようになりました。なかでも有名なのが天保の改革を行った水野越前守忠邦。天下統一を果たした家康にあやかって、自ら進んで浜松城主になったと言われています。

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