上田城|観光の魅力・歴史・アクセス方法・営業時間を写真&動画でチェック!
基本情報
- 名称
- 上田城 (うえだじょう)
- 所在地
- 〒386-0026 長野県上田市二の丸
- アクセス
- JR北陸新幹線上田駅から徒歩15分
- 駐車場
- 駐車場 あり
- 営業時間
- 見学自由
上田城南櫓・北櫓・櫓門観覧は8:30~17:00(入館は~16:30) - 定休日
- 水曜・祝日の翌日・年末年始休
- 料金
- 入城無料
上田城南櫓・北櫓・櫓門観覧は一般300円、高校生以上200円、小・中学生100円 - 連絡先
- 電話番号: 0268-23-5408
- 公式サイト
- キーワード
マップ
詳細情報
上田城は、長野県上田市に位置する歴史的な城で、戦国時代に真田昌幸(さなだ まさゆき)によって築かれた名城です。天正11年(1583年)に築城され、上田盆地のほぼ中央に位置する平城として知られています。しかし、尼ヶ淵(あまがふち)と呼ばれる断崖や川などの自然地形を巧みに利用した構造を持ち、防御力の高い城として築かれたことが特徴です。
上田城は、戦国時代から江戸時代にかけて重要な役割を果たし、真田氏が築城し、仙石氏が再興し、松平氏が受け継いで守り伝えた城として、約400年の歴史を持っています。さらに明治以降は市民の力によって整備が進められ、現在までその魅力が受け継がれてきました。
難攻不落の城としての上田城
上田城は「難攻不落の城」として全国的に有名です。その理由は、徳川軍との戦いで二度にわたり大軍を撃退した実績があるためです。日本全国の城郭の中でも、二度の実戦経験を持ち、輝かしい戦果を挙げた城は非常に珍しく、上田城の歴史的価値を高めています。
第一次上田合戦(1585年)
第一次上田合戦は1585年(天正13年)に起こり、徳川軍約7,000に対して真田軍は約2,000と圧倒的に不利な状況でした。しかし真田昌幸は、徳川軍を城近くまで誘い込んでから背後を突く戦法を用い、徳川軍を混乱させ撤退に追い込みました。さらに徳川家康は、上杉軍が真田の援軍として来る可能性を知り、攻略を断念して退却したとされています。この勝利によって、真田昌幸の名は天下に広まりました。
第二次上田合戦(1600年)
第二次上田合戦は1600年(慶長5年)、関ヶ原の戦いの直前に起こりました。徳川家康の息子・徳川秀忠が関ヶ原へ向かう途中、中山道の要衝である上田城を攻めたことがきっかけです。
徳川軍は約38,000という大軍であったのに対し、真田軍は約2,500~3,000程度とされますが、上田城は落ちず、秀忠軍は足止めされてしまいました。その結果、秀忠は関ヶ原の決戦に間に合わず、戦後に家康が激怒したという逸話も残されています。
このように、上田城は戦国史において非常に重要な舞台となった城です。
真田家の戦略と関ヶ原後の運命
第二次上田合戦の頃、真田昌幸と幸村(信繁)は西軍側として徳川と戦いましたが、昌幸の長男・真田信之(信幸)は東軍側につきました。これは、どちらが勝っても真田家が生き残れるようにするための真田家の戦略だったといわれています。
しかし関ヶ原の戦いの後、昌幸と幸村は敗軍の将として九度山へ配流されました。一方、東軍についた信之は徳川家康から上田藩を与えられましたが、上田城はすでに破却されていたため、信之は上田城の大規模な修復を行わず、三の丸に屋敷を構えて藩政にあたったとされています。
破却と再興:仙石氏の時代
上田城は関ヶ原の合戦後に破却されましたが、その後、1622年(元和8年)に信之が松代へ移封されると、代わって仙石秀久が上田城主となりました。
仙石氏の時代には城の再興が進められ、仙石忠政の代(1626年頃)から本丸や二の丸の整備、堀の再掘削などが行われました。本丸には7つの櫓と2つの櫓門が建てられましたが、忠政の死により工事は途中で中断されました。現在残る「西櫓」は仙石氏の時代のものとされ、貴重な現存建築です。
仙石家は1622年から1706年まで、約80年以上にわたり3代続いて上田城を治めました。
松平氏の統治と修復
仙石氏の後は藤井松平氏が城主となり、約160年間、7代にわたって上田を治めました。松平氏の時代には、千曲川の洪水や地震などによって損傷した石垣や櫓の修復が行われ、城の維持管理が進められました。
廃城と市民による復活
明治維新後の1871年(明治4年)、上田城は廃城となりました。その後、城の土地や建物は競売にかけられ、櫓も解体されていきました。7つあった櫓のうち4つは所在不明となり、残る3つのうち西櫓は城内に現存しましたが、北櫓・南櫓は城外へ移され、貸座敷などとして使われた時期もありました。
しかし、上田市民の強い要望により北櫓と南櫓は再び城内に移築され、1949年(昭和24年)に約70年ぶりに上田城へ戻りました。また、東虎口櫓門(ひがしこぐちやぐらもん)は1994年(平成6年)に復元され、往時の姿がよみがえりました。
現在の上田城:上田城跡公園としての魅力
現在の上田城は「上田城跡公園」として整備され、歴史と自然が調和する憩いの空間となっています。園内には石垣や堀、土塁などの遺構が各所に残り、戦国時代から江戸時代の城郭の雰囲気を体感することができます。
特に見どころとして知られるのが、本丸に残る櫓や櫓門、そして巨大な石「真田石」です。真田石は東虎口櫓門の近くにあり、高さ約2.5メートル、幅約3メートルほどの大きさを誇ります。城主の権力や財力を示すために置かれたとされ、訪れた大名がその石の大きさを褒めることが礼儀であったともいわれています。
上田城の主な見どころ
櫓・櫓門
かつて本丸には櫓7基、櫓門2基がありましたが、現在は櫓3基と櫓門1基を見ることができます。北櫓・南櫓は内部見学できる場合もあり、当時の城の構造を学ぶことができます。
真田神社と真田井戸
園内には眞田神社があり、真田家ゆかりの地として多くの参拝者が訪れます。境内には「真田井戸」と呼ばれる井戸があり、北側の城外へつながる抜け穴だったという伝説も残っています。
上田市立博物館
かつての二の丸には上田市立博物館があり、歴代城主の甲冑や上田藩に関する資料などが展示されています。上田城の歴史を深く学べる施設として人気があります。
上田高等学校と三の丸跡
かつての上田藩主の居館跡には現在、上田高等学校が建っています。周囲は今も堀や土塀に囲まれ、三の丸藩主居館の表御門が高校の正門として使用されている点も、歴史の面影を感じられる特徴です。
四季の風景とイベント
上田城跡公園は四季折々の自然が美しく、歴史的景観と自然が調和した観光スポットとして親しまれています。
春には「上田城千本桜まつり」が開催され、桜の名所として県内外から多くの観光客が訪れます。秋には「上田城紅葉まつり」が行われ、紅葉に彩られた城跡の景観が楽しめます。
また、「上田真田まつり」など歴史にちなんだ催しもあり、行楽シーズンにはさまざまなイベントで賑わいます。上田市では、上田城の魅力や歴史的価値をより多くの人に体感してもらうため、「本丸の7つの櫓と櫓門」や「二の丸東虎口周辺の復元・整備」などの取り組みも進めています。
文化作品との関わり
上田城は歴史的価値だけでなく、現代の文化作品にも登場しています。2009年公開のアニメ映画『サマーウォーズ』では、ヒロインの実家である陣内家の屋敷の門として上田城が登場し、話題となりました。これをきっかけに訪れるファンも多く、聖地巡礼スポットとしても知られています。
上田城は、1583年に真田昌幸によって築城され、第一次・第二次上田合戦で徳川の大軍を二度にわたり撃退したことで「難攻不落の城」として名を馳せた歴史的な城です。関ヶ原の合戦後に破却されるものの、仙石氏によって再興され、その後は松平氏に受け継がれ、長い年月を経て現在まで守られてきました。
現在は上田城跡公園として整備され、櫓・櫓門・石垣・堀などの遺構を見学できるほか、眞田神社や博物館なども併設され、歴史を学びながら散策できる魅力的な場所となっています。さらに、桜や紅葉など四季折々の自然の美しさ、祭りやイベントの賑わいも楽しめるため、歴史好きにも観光客にも人気の高いスポットです。
戦国時代から現代まで受け継がれてきた上田城の400年の物語に触れながら、時代を越えて紡がれてきた人々の想いを感じられる場所として、多くの人に親しまれています。