伊勢神宮

伊勢神宮

伊勢神宮は、日本の神社の中でも特別な存在で、正式には「神宮」と呼ばれています。伊勢神宮は、皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮)を中心に、125社の宮と神社から成る神聖なエリアです。
内宮(皇大神宮)は、日本人の総氏神である「天照大御神」を祀り、外宮(豊受大神宮)は衣食住など様々な産業の守り神である「豊受大明神」を祀っています。これらの神社は「御正宮」とも呼ばれ、格式高い場所とされています。
伊勢神宮は、日本の歴史と神話に深く関連し、その神話に登場する「天照大御神」は、皇室の御祖先であり、日本人の大御祖神として崇敬されています。伊勢信仰は平安時代末期から全国に広まり、現代でも多くの信者が訪れ、崇拝しています。
伊勢神宮の中でも八咫鏡と呼ばれる宝物が特別な存在で、皇室の天皇がお祀りする神聖なご神体となっています。伊勢神宮の歴史や文化、神話は、日本の文化や信仰に大きな影響を与えており、多くの人々が訪れてその神秘的な雰囲気を感じる場所です。

基本情報

名称
伊勢神宮 (いせじんぐう)
所在地
皇大神宮(内宮) 三重県伊勢市宇治館町1 、豊受大神宮(外宮) 三重県伊勢市豊川町279
アクセス
外宮へのアクセス
【電車】 近鉄・JRの伊勢市駅から徒歩で約5分
【バス】 近鉄・JRの伊勢市駅からバスで約5分
【車】 伊勢ICから外宮前駐車場まで車で約6分

内宮へのアクセス
【電車】 近鉄 五十鈴川駅から徒歩で約30分
【バス】 近鉄 五十鈴川駅からバスで約6分
【車】 伊勢西ICから市営宇治駐車場まで車で約5分
駐車場
駐車場 あり
営業時間
参拝時間 
1月・2月・3月・4月・9月
午前5時~午後6時
5月・6月・7月・8月
午前5時~午後7時
10月・11月・12月
午前5時~午後5時
連絡先
電話番号: 0596-24-1111
公式サイト

マップ

詳細情報

2つのお宮 皇大神宮(内宮)と、豊受大神宮(外宮)
両宮は決して同格ではなく、皇大神宮が最も尊いお宮で神宮の中心です

▶皇大神宮(内宮)
神路山、島路山の麓、五十鈴川のほとりに鎮座する皇大神宮は、皇室の御祖神であり日本人の大御祖神である天照大御神をお祀りしています。
今から2000年前、皇位のしるしとして受け継がれる三種の神器の一つである八咫鏡をご神体として伊勢の地にお祀りし、国家の守護神として崇める伊勢信仰は平安末期より全国に広がりがみられました。現在でも全国の神社の本宗として特別に崇敬を集めます。

▸皇⼤神宮の由緒と沿⾰
わが国最初の正史『日本書紀』によると、天照大御神はお生まれになった時、「光華明彩、六合の内に照り徹らせり」と称えられ、この上なく輝かしい存在として、また神々の世界を治める日の神としても伝えられています。
高天原にいらっしゃる大御神は皇孫瓊瓊杵尊をこの国にお降しになる際に、
豊葦原の千五百秋の瑞穂国は、是れ吾が子孫の王たる可き地なり。宜しく爾皇孫、就きて治せ。行矣。宝祚の隆えまさむこと、当に天壌と窮り無かるべし。
と、この国は天地と共に永遠であるとの祝福のお言葉をお与えになりました。また大御神は宝鏡を授けられ、「この鏡は私を見るがごとくにまつれ」と命じられました。さらに高天原でお育てになった稲穂を授けられ、米をつくる暮らしが、この国の繁栄と平和をもたらすとお教えになられました。この御祝福の言葉は「天壌無窮の神勅」と呼ばれます。
さて、瓊瓊杵尊に授けられた宝鏡は八咫鏡と呼ばれ、天皇が天照大御神をお祀りするご神体となっています。八咫鏡は代々宮中で天皇ご自身がお祀りされていましたが、崇神天皇の御代になるとお側でお祀りすることに畏れを抱かれ、皇居を出られ、大和の笠縫邑に神籬を立ててお祀りすることになりました。
そこでは、天皇にお代わりして、豊鍬入姫命が大御神をお祀りしていましたが、垂仁天皇の御代に、倭姫命が新たに大御神をお祀り申し上げるにふさわしい地を求められることになりました。倭姫命は大和の国を始め伊賀、近江、美濃の諸国を巡られた後、伊勢の国の度会の地、宇治の五十鈴の川上に到られ、大御神のお教えのままに「祠」をたててお祀り申し上げることになりました。今からおよそ2000年前のことです。祠は社とも書き、家や屋の代という意味で、お祭りに際してその都度新たにたてられる建物のことです。神籬や祠のように臨時にたてられる建物が、神の宮、つまり神宮と呼ばれるほどに大きな規模になったのは、天武天皇から持統天皇の御代にかけてのことと考えられています。20年に一度の大祭、神宮式年遷宮もその時代に始まりました。

▶豊受大神宮(外宮)
伊勢市の中心部、高倉山を背にして鎮まります豊受大神宮は、豊受大御神をお祀りしています。豊受大御神は内宮の天照大御神のお食事を司る御饌都神であり、衣食住、産業の守り神としても崇敬されています。
鳥居をくぐり、玉砂利を踏みしめて緑につつまれた参道を歩くと清々しい気持ちに満ちあふれます。
今から約1500年前、天照大御神のお食事を司る御饌都神として丹波国から現在の地にお迎えされました。内宮の御鎮座から約500年後のことです。以来、外宮御垣内の東北に位置する御饌殿では朝と夕の二度、天照大御神を始め相殿神及び別宮の神々に食事を供える日別朝夕大御饌祭が続けられています。

▸豊受大神宮の由緒と沿⾰
豊受大神宮のご鎮座は『止由気宮儀式帳』や『豊受皇太神御鎮座本紀』によると、雄略天皇の御代に、天照大御神が天皇の夢に現れてお告げをされたことによります。その内容は、「一所のみ坐せば甚苦し」ということと、「大御饌も安く聞食さず坐すが故に、丹波国の比治の真名井に坐す我が御饌都神、等由気大神を、我許もが」と教え諭されたことでした。天皇は夢から目覚められて、等由気大神を丹波国からお呼びになり、度会の山田原に立派な宮殿を建て、祭祀を始められました。これが「御饌殿の創設」、「日別朝夕大御饌祭の創祀」を始めとする御鎮座の由来です。
天照大御神の御神慮によって豊受大神宮がお鎮まりになったことには、どんな意味があったのでしょうか。皇大御神は、豊受大御神の御神慮を仰ぐことなしに、食事に代表される生活全般の正しい豊かな営みが不可能であることを、みずからお教えくださったものと考えます。この御代は大陸との交通がますます盛んとなり、産業の開発も著しく、国富はいよいよ充実した時代であったことを考えると、その深い神慮のほどがうかがわれます。
豊受大神宮は皇大神宮と共に、かつて「二所大神宮」と称されました。広大なる御神徳と尊い御鎮座の由緒にもとづいて、殿舎、祭儀のほとんどが皇大神宮と同様であり、皇室の御崇敬もまた同様に捧げられています。しかし、両宮は決して同格ではなく、皇大神宮こそが最高至貴のお宮で神宮の中心です。
神宮の祭典は、「外宮先祭」といって、まず外宮で祭儀が行われるならわしがあります。豊受大御神は天照大御神の御饌都神ですので、内宮の祭儀に先だって御饌都神にお食事を奉るのです。祭典の順序にならい、参拝も外宮から内宮の順にお参りするのがならわしです。