紀州徳川家の居城
御三家のひとつとして発展した歴史があり、城の背景をたどりやすいです。
AI要約
AIによる要約です。営業時間・料金・休館日は公式情報をご確認ください。
紀州徳川家の歴史と城下の景色を気軽に楽しめる、和歌山市を代表する城です。
豊臣秀吉の築城に始まり、紀州徳川家の居城として発展した城です。緑泥片岩の石垣や天守からの眺めが見どころで、城内には動物園や茶室もあります。歴史散策に加え、家族連れでも立ち寄りやすい一方、ゆっくり歩くなら時間に余裕を持つと安心です。
御三家のひとつとして発展した歴史があり、城の背景をたどりやすいです。
紀州特産の緑泥片岩を使った石垣が印象的で、写真でも存在感があります。
動物園や茶室もあり、短時間でも過ごし方に幅があります。
和歌山市駅から向かい、石垣と天守を見てから城内を一周すると全体像をつかみやすいです。
▶豊臣時代の和歌山城 ―築城の始まり―
和歌山城は、天正13年(1585)、紀州を平定した羽柴(豊臣)秀吉が、弟の秀長に築城を命じたのが始まりです。このとき、普請奉行を藤堂高虎・羽田長門守正親・横浜一庵法印良慶が勤めたといわれ、約1万人が築城に動員されました。秀長は大和郡山に在城し、城代として和歌山城には桑山重晴がおかれました。桑山氏によって、どの程度城が築かれたかわかりませんが、東の岡口門を大手とする縄張りがなされ、本丸部分を中心に築城が進められたと思われます。「紀州の青石」と呼ばれる緑色片岩で築かれた石垣が、この頃の築城の範囲と思われます。
▶浅野時代の和歌山城 ―本格的な城づくりへ―
慶長5年(1600)、関ヶ原の戦で軍功のあった浅野幸長が、桑山氏にかわって入城します。そして、和歌山城を拡張していきます。まず城の正面である大手を東の方(岡口)から北の方の大手橋(一の橋)に変更したり、天守を建てたりしています。また、本丸・二の丸・三の丸・御屋敷など近世的な城として和歌山城の拡張工事をし、本町通りを大手とする城下町の建設もおこなっていきます。このように、浅野氏により和歌山は、その後の城と城下町の基礎がつくられます。元和5年(1619)7月、二代将軍徳川秀忠の命により安芸国広島への転封が言いわたされます。和歌山城には、19ヵ年の在城でした。
▶徳川時代の和歌山城 ―御三家のひとつ紀州徳川家の居城―
元和5年(1619)8月、浅野氏に代わり徳川家康の第十男徳川頼宣が、駿河(静岡県)から、55万5千石の領主として入国します。ここに御三家のひとつ紀州徳川家が誕生します。当時、幕府から銀2000貫をもらい、二の丸の拡張や砂の丸・南の丸など大規模な増築をおこない、「南海の鎮」として幕府の西国支配の拠点づくりをします。また、城下町を整備し、和歌浦に紀州東照宮を建てます。江戸時代の終わりごろには、全国で第8番目の都市にまで発展します。
五代藩主徳川吉宗は、藩内で質素倹約や新田開発、訴訟箱の設置など藩の改革をおこない財政を建てなおします。この政策は将軍となってからの「享保の改革」へと発展します。十代藩主治宝は、歴代藩主の中でとくに文化面に力をそそぎ、雅楽や茶道の奥義をきわめ「数寄の殿様」と呼ばれました。十三代藩主慶福は、幕末の動乱期に十四代将軍となり、皇女和宮との結婚など幕藩体制の強化に努めます。紀州徳川家は252ヵ年在城し、明治をむかえます。
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