興福寺|観光の魅力・歴史・アクセス方法・営業時間を写真&動画でチェック!
基本情報
- 名称
- 興福寺 (こうふくじ)
- 所在地
- 〒630-8213 奈良県奈良市登大路町48
- アクセス
- JR 奈良駅 市内循環バス「県庁前」下車すぐ
近鉄 奈良駅 徒歩5分 - 駐車場
- 普通車46台
- 営業時間
- 9:00~17:00(入堂・入館は16:45まで)
- 定休日
- 年中無休
- 料金
- 【興福寺国宝館】大学生以上 700円、中高生 600円、小学生 300円
【中金堂】大学生以上 500円、中高生 300円、小学生 100円 - 連絡先
- 電話番号:0742-22-7755
- 公式サイト
- キーワード
マップ
詳細情報
興福寺は、奈良県奈良市に位置する法相宗の大本山であり、日本の古代から中世、近世、そして現代に至るまで長い歴史を有する寺院です。世界遺産「古都奈良の文化財」の一部にも登録されており、奈良を代表する文化遺産として広く知られています。
興福寺の起源は、天智8年(669年)に藤原鎌足が重病にかかった際、夫人の鏡女王が夫の回復を祈願して建立した「山階寺(やましなでら)」にさかのぼります。この寺は山背国山階(現在の京都市山科)に建てられ、釈迦三尊像や四天王像などが安置されました。その後、壬申の乱(672年)後に都が飛鳥へ戻ると、寺も移転し「厩坂寺(うまやさかでら)」と改称されます。
さらに和銅3年(710年)、平城京への遷都に伴い、藤原不比等の計画によって現在の奈良の地に移され、「興福寺」と名付けられました。これ以降、興福寺は藤原氏の氏寺として大いに発展し、奈良時代には有力寺院の一つとして、また平安時代には南都七大寺の一つに数えられるなど、重要な地位を占めるようになります。
平安時代には、藤原氏の強大な権力を背景に寺勢はさらに拡大し、春日社(現在の春日大社)と一体的に運営される神仏習合の中心的存在となりました。また、多くの僧兵を擁し、時には朝廷に対して強訴を行うほどの政治的・軍事的影響力を持ち、大和国に強い支配的影響力を及ぼしました。鎌倉時代や室町時代には、大和国に守護が置かれず、興福寺が実質的にその役割を担っていた点も特筆されます。
しかし、興福寺は幾度も災禍に見舞われました。特に治承4年(1180年)の平重衡による南都焼討ちでは、主要な堂塔のほとんどが焼失しました。その後、鎌倉時代に復興が進められ、有力な仏師集団である慶派・円派・院派などが競って仏像を制作し、現在に伝わる優れた仏教美術が生み出されました。さらに江戸時代の享保2年(1717年)の大火でも、伽藍の多く、特に中心部が失われましたが、その後も再建が続けられました。
近代に入ると、明治政府の神仏分離令や廃仏毀釈の影響により、興福寺は一時衰退し、境内や寺領の多くを失うなど大きな困難に直面しました。しかし、寺僧や関係者の努力によって復興が進められ、明治14年(1881年)には寺号の回復が認められました。その後は文化財保護の観点から堂宇や仏像の修理・保存が進められ、現在に至っています。平成30年(2018年)には中金堂が約300年ぶりに、創建当初の規模を参考に復元されました。
現在の境内は約8万平方メートルに及び、塀に囲まれない開放的な空間の中に多くの堂塔が点在しています。主な建造物としては、室町時代・応永33年(1426年)頃に再建された五重塔(国宝)、鎌倉時代再建の北円堂(国宝)、応永年間再建の東金堂(国宝)、江戸時代再建の南円堂(重要文化財)などが挙げられます。これらの建物はいずれも各時代の建築様式を伝える貴重な文化財です。
また、興福寺の大きな魅力の一つが、国宝館に収蔵されている数多くの仏像や美術品です。特に有名なのが天平時代の傑作である阿修羅像であり、八部衆立像の一つとして知られています。そのほかにも乾漆造の仏像や鎌倉時代の優れた彫刻など、日本仏教美術を代表する貴重な文化財が数多く保存されています。
このように興福寺は、藤原氏の氏寺としての政治的・宗教的中心であった歴史を持ち、幾多の災害や社会変動を乗り越えながら復興を重ねてきた寺院です。現在では、奈良の街と密接に結びつきながら、その歴史と文化を今に伝える重要な存在となっています。