現存天守を見学できる
日本最北端の現存天守として知られ、城の歴史を感じやすい場所です。
AI要約
AIによる要約です。営業時間・料金・休館日は公式情報をご確認ください。
現存天守と桜で知られる、歴史散策と季節景観を両方楽しめる城です。
弘前城は、日本最北端の現存天守をもつ城として知られ、弘前公園の中心で歴史と自然を一緒に楽しめます。春の桜は特に有名で、秋や冬も見どころがあります。城歩きが好きな人には相性がよく、混雑期は時間に余裕を持つと安心です。
日本最北端の現存天守として知られ、城の歴史を感じやすい場所です。
弘前さくらまつりの時期は、花と城の組み合わせが特に見応えがあります。
秋の紅葉や冬の雪景色もあり、何度訪れても印象が変わります。
弘前駅から公園へ向かい、天守と濠を見たあと、時間があれば周辺の庭園も合わせて回るとまとまって楽しめます。
弘前藩初代藩主である津軽為信が、主家である南部氏からの独立を果たし津軽地方を統一したのが1588年(天正16年)のことでした。
その後、為信は津軽地方を治めるために新たな城を築くことを決意し、現在の弘前の地を選定しました。これが1603年(慶長8年)のこととされています。当時、この地は旧名の高岡(鷹丘)と呼ばれていました。
▶築城の計画
築城計画はなかなか進まず、為信は完成を見ることなく1607年(慶長12年)、京都にて客死します。
父の遺志を継いだ第2代藩主信枚が高岡城を完成させたのは、1611年(慶長16年)のことでした。完成当初、高岡城には5層の天守がそびえていました。現在、本丸未申櫓跡となっている石垣が、当時の天守台であったのです。
しかし1627年(寛永4年)、この5層の天守は火事により失われてしまいました。土地の旧名である高岡が、現在の弘前に改められたのはその翌年のことで、これには魔除けの意味がこめられていたと言います。
▶そして現在へと至る天守
その後、長らく弘前城は、天守を持たぬ城となりました。これは、幕府から弘前藩に対し天守新造の許可が下りなかったためだと言われています。
現在残っている3層の天守は、1810年(文化7年)に弘前藩第9代藩主寧親の治世に築かれました。その当時、現在の場所にあった本丸辰巳櫓を解体して新造されたものとされています。
幕府から天守新造の許可が下りた理由としては、この数年前に弘前藩が蝦夷地(北海道のこと)警備の任にあたってその功績が認められたことや、当時、ロシア船が津軽海峡を往来し、その防備のため、という説が一般的です。
また、この建物はあくまで天守の代用であって、当時は「御三階櫓」と呼ばれていた、とも言われています。
▶現在の天守
建築年こそ新しいものですが、濠側の東・南両面には鉄扉を付けず、矢狭間だけとし、また1・2層にはその中央に張り出しをつけ、切妻破風・石落としを設けるなど、古形式を特徴としています。
また、5間×6間の初層平面に対し、2層、3層と各一間ずつ小さくなる層等式の建築となっており、二の丸側から天守を見た時、切妻破風と狭間によってその印象を大きく見せようとする工夫が凝らされていると言われています。
一方で、本丸内側から見た北・西両面には破風も狭間も無く、採光を考えて窓も大きくされています。 江戸時代に建築され現存する天守としては、東北地方唯一のものであり、小規模ではあるものの、全国の天守の中でも代表的なものとされています。
仮天守台に移動した現在は主に弘前城天守曳屋の資料が展示されています。見学は無料ですが、本丸への入場料金が別途必要になります。
☁ 今日の天気と観光メモ
青森県弘前市下白銀町1 周辺
17℃
所により曇り
体感 17℃
大きな天気の崩れは少なめです
雲はありますが、観光はしやすい見込みです。念のため最新の天気と現地情報も確認してください。
天気が変わりやすい日は、営業時間・休室情報もあわせて確認しましょう。
基本情報を見る予報は変更される場合があります。最新の交通・営業情報もご確認ください。
Powered by WeatherAPI.com
太宰治記念館「斜陽館」は、文豪太宰治の生家で、明治40年(1907年)に父、津島源右衛門が建てた豪邸です。斜陽館は、青森ヒバを使った和洋折衷・入母屋造りで、国の重要文化財...