彦根城

彦根城

彦根城は、江戸時代初期に築かれた平山城で、彦根山(金亀山)を利用して建設されました。この城は現在も、国宝の天守と重要文化財の各櫓が残り、その周囲には下屋敷や堀などが当初の姿を保っています。昭和31年には国の特別史跡に指定され、また、下屋敷は昭和26年に国の名勝に指定されました。
彦根城の特徴的な要素には、牛蒡積(ごぼうづみ)と呼ばれる強固な石垣があり、その上に三重の天守が建っています。この天守は国宝として認定されており、その曲線の美しさや花頭窓の配置が特徴です。また、彦根城には他にも多くの国宝や重要文化財が存在し、その保存状態は非常に良好です。
彦根城は、その美しい夜間ライトアップや周辺の桜の名所としても知られ、彦根市のランドマークとして親しまれています。彦根城は日本の名城の一つとして、その歴史と美しさを訪れる人々に楽しまれています。

基本情報

名称
彦根城 (ひこねじょう)
所在地
〒522-0061 滋賀県彦根市金亀町1-1
アクセス
JR琵琶湖線 「彦根」 下車 徒歩 15分
駐車場
普通車 280 台
大型車 25 台
障害者用 10 台
営業時間
8:30から17:00
定休日
年中無休 (開国記念館は12月25日から12月31日まで休館します)
料金
大人800円、小人200円
連絡先
電話番号:0749-22-2742
公式サイト

マップ

詳細情報

1国宝 彦根城天守、
附櫓及び多聞櫓
天守は3階3重の屋根で構成されています。屋根は「切妻破風(きりづまはふ)」「入母屋破風(いりおもやはふ)」「唐破風(からはふ)」を多様に配しており、2階と3階には「花頭窓(かとうまど)」、3階には高欄付きの「廻縁(まわりえん)」を巡らせるなど外観に重きを置き、変化に富んだ美しい姿を見せています。
大津城から移築されたといわれ、政治的象徴としての外観の美しさだけでなく、城本来の機能である軍事面でも優れています。昭和27年(1952年)に国宝に指定。
彦根城以外の国宝天守は、姫路城・松本城・犬山城・松江城だけです。
夜間はライトアップされ彦根市のランドマークとして市民に親しまれています。

2重要文化財
彦根城西の丸三重櫓及び続櫓
西の丸の西に建つ櫓で、さらに西に張り出した出曲輪との間に深い堀切が設けられています。西方の搦め手(裏手)からの敵に備えた守りの要でした。三重櫓は、この搦め手を見下ろす位置に設けられ平時には琵琶湖を監視する役目もありました。

3重要文化財
彦根城太鼓門及び続櫓
天守がある本丸表口をかためる櫓門で、城内合図の太鼓を置いたところから名付けられたと言われています。建物の背面が解放され、高欄付きの廊下となっており、櫓では大変稀な構造となっています。なお、解体修理に伴う部材調査によりどこかの城門を移築したものであることが判明しています。

4重要文化財
彦根城天秤櫓
大手門と表門からの両坂道を登りつめたところにあります。目の前の廊下橋は戦時には落とすと伝わり、表門山道、大手門山道を上がってきた敵兵が天秤櫓の高い石垣を登らないと本丸へ侵入できませんので重要な拠点となります。この廊下橋に接続する櫓門部分を中央に、両坂道に面している多聞櫓の角を二重櫓とすることで、左右対称となっており、天秤櫓の名の由来となっています。他の城から移築したものと考えられます。建物土台の石垣は向かって右側が築城当時の打込みハギ積み、左側が江戸時代後期の改修による落とし積みとなっています。

5時報鐘
城全体に響くようにと『鐘の丸』より移されたもので、今も定時に鐘がつかれ「日本の音風景百選」に選ばれています。
幕末期12代藩主直亮の時に、より美しい音色にしようと鋳造のさい大量の小判が投入されました。
隣接する聴鐘庵は茶屋として薄茶(お菓子付¥500)を楽しむことができます。(9:00〜16:00)

6観音台
養老4年(710)近江の国司藤原房前(ふささき)によって、彦根山に一寸八分の観音像を本尊とした彦根寺が建立されました。金の亀に乗った観音さまを安置する御堂があったといわれています。
観音さまについては目に御利益があると言われ、そのうわさは京にも広まり、白河上皇や大臣はじめ多くの人が彦根山観音に参詣されたと言い伝えがあります。

7山崎郭(山崎曲輪跡)
木俣屋敷があった場所で、凱旋した井伊直孝を迎えた場所といわれています。かつて山崎門がありました。
訪れる人は少ないですが、木々に囲まれ静かな空間がぽかりと広がり、こころ安らぐ場所です。
四季を通してのんびりと美しい場所。

8梅林
かつて、彦根城の公儀御用米の米蔵があった場所。
例年は、3月中旬から下旬にかけて、紅梅・白梅など約450本が春の訪れを告げます。
彦根城が新日本観光地百選に選ばれたのを記念して、この梅は植えられました。

9重要文化財
馬屋
藩主などの馬21頭がつながれていたといわれ、城内に残る馬屋は全国でも彦根城にしかない珍しい建物です。平成27年度に二度目の本格的な文化財保存修理を終え、往時の姿を取り戻したこけら葺きの屋根が美しい馬屋です。

10名勝 玄宮園
玄宮園は下屋敷である槻御殿(現楽々園)に伴う後園として江戸時代前期に作庭された大規模な池泉回遊式庭園です。中央に掘られた池泉には大小4つの中島が築かれ、さまざまな形式の橋が架けられて自由な回遊性を確保するとともに庭園内の景観にもなっていました。武蔵野から眺める手前の池、中ほどに鳳翔台(茶席)遠方上部の天守がバランスがとれた絵葉書的景色で皆様を楽しませます。また紅葉をはじめとする、玄宮園内の木々や草花が四季折々の表情を見せています。

11鳳翔台
鳳凰が大空に向かって舞い上がる場所、という意味で名付けられたと伝える恰好の高台です。「鳳翔台」の名は、江戸時代に描かれた「玄宮園図」に玄宮園十勝(名勝10箇所)の1つとして描かれています。絵図には高台の下に華やかに飾った舟も描かれており、時には舟遊びに興じることもありました。

12名勝 楽々園
現在、楽々園と呼んでいる範囲は延宝5年(1677)に4代直興によって造営されたと伝わる下屋敷の範囲であり、江戸時代には「槻御殿」などの名前で呼ばれていました。この槻御殿は下屋敷であると同時に「隠居所」としても使用され、13代直弼は隠居していた11代直中の子としてこの槻御殿で産声をあげています。槻御殿については平成17年度より歴史的建造物の保存修理事業を実施しています。

13重要文化財
彦根城二の丸佐和口多聞櫓
佐和口に向かって左に伸びる多聞櫓。明和4年(1767)に火災で類焼し、現在の建物は明和6年から8年にかけて再建されたものです。明治になって、櫓門は失われましたが、本来はその右に伸びる多聞櫓(現開国記念館)と一体のものです。
※現在非公開

14いろは松
表門橋に向かう中濠の沿道の松並木で47本あったのでこの名が付けられました。
現在34本(補植12本)残り、当時の面影が偲ばれる通りです。
第3代井伊直孝が、諸国から取り寄せた竹木を城内に移植する際に、通行の妨げにならないように、根が地上に出ない土佐松が植えられています。

15埋木舎
井伊直弼が青春時代を過ごした舎。
「世の中をよそに見つつも埋もれ木の埋もれておらむ心なき身は」と直弼は和歌を詠み、自ら「埋木舎」と名付け、文武両道の修練に励みました。徳川幕府の大老として開国の父となった才能はここで培われたといわれます。

市指定文化財
旧池田屋敷長屋門
旧彦根藩の中級武家屋敷の典型をなす長屋門として、昭和48年(1973年)に彦根市の指定文化財に指定されました。平成21年度から3年を費やして、全解体修理を実施。中には馬をつないでいた馬屋部分もご覧いただけます。

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