
六角堂|観光の魅力・歴史・アクセス方法・営業時間を写真&動画でチェック!
基本情報
- 名称
- 六角堂 (ろっかくどう)
- 所在地
- 〒319-1703 茨城県北茨城市大津町五浦727-2
- アクセス
- JR常磐線「大津港駅」からタクシーで約10分
常磐自動車道「北茨城IC」または「いわき勿来IC」から約15分 - 駐車場
- 無料駐車場15台
- 営業時間
- 【4月~9月】8:30~17:30
【10・2・3月】8:30~17:00
【11月~1月】8:30~16:30
※入場は閉館時間の30分前まで - 定休日
- 原則月曜日(要ホームページ確認)
- 料金
- 400円(中学生以下は無料、団体(20名様以上)は350円
- 連絡先
- 電話番号: 0293-46-0766
- 公式サイト
マップ
詳細情報
六角堂は、茨城県北茨城市大津町五浦(いつうら)海岸に建つ歴史的建造物です。思想家であり美術教育者の岡倉天心(おかくらてんしん)が1903年(明治36年)に自ら設計し、「観瀾亭(かんらんてい)」と名付けました。太平洋に突き出した断崖の上に建ち、赤い六角形の建物と青い海、白波が織りなす風景はまるで一枚の絵画のような美しさを誇ります。夜間にはライトアップが行われることもあり、幻想的な姿を楽しむことができます。
岡倉天心と六角堂
岡倉天心は、日本美術院を創設し、近代日本美術の発展に大きく貢献した人物です。1903年、画家の飛田周山の案内で初めて五浦を訪れ、その雄大な景観に深く魅了されました。二年後に六角堂を建て、ここを思索と創作の場としました。天心は冬にはボストン美術館で勤務し、夏は五浦で過ごすという生活を送りました。
1906年(明治39年)には日本美術院をこの地に移転し、弟子の横山大観、下村観山、菱田春草、木村武山らが家族とともに移り住み、創作活動に励みました。彼らの活動によって、五浦は「近代日本美術の聖地」と呼ばれるようになりました。
歴史的背景と震災・再建
六角堂は、岡倉天心の没後も五浦の象徴として多くの人々に親しまれてきました。しかし、2011年(平成23年)の東日本大震災で津波により流失しました。その後、海底から可能な限り部材を回収し、創建当時の姿を忠実に再現する形で2012年(平成24年)に再建されました。再建時には、天心の生誕150年にちなみ、樹齢150年の老杉が使用され、天然のベンガラによる朱塗りや、海底から発見された水晶が納められた宝珠など、細部まで創建当時の美意識が再現されています。飛び石の配置にも「茶の湯」の精神が表現されています。
建築と景観の魅力
六角堂は、六角形の平面を持つ独特の建築様式が特徴です。朱色の柱といぶし瓦の屋根が五浦の海と調和し、周囲の老松、奇岩、白波が一体となって風光明媚な景観をつくり出しています。横山大観が描いた松と日の出、月の情景のモデルにもなりました。現在は「茨城大学五浦美術文化研究所」の一部として管理され、敷地内には岡倉天心旧宅「長屋門」も保存されています。長屋門は国登録有形文化財に指定され、歴史的価値が高い建造物です。
紫雲山頂法寺 六角堂との関係
一方、京都市中京区にある紫雲山頂法寺(しうんざんちょうほうじ)も「六角堂」として知られています。聖徳太子が587年(用明天皇2年)に創建したと伝わる天台系の単立寺院で、本尊の如意輪観音像を祀っています。本堂が六角形であることからこの名で親しまれ、華道家元池坊が代々住職を務めることでも知られます。いけばな発祥の地としても著名ですが、茨城県の六角堂とは直接的な関係はありません。
現在の六角堂と意義
再建された六角堂は、岡倉天心が追い求めた「東洋の理想」や「美の国・日本」の象徴的建築として、多くの人々に親しまれています。天心がこの地を「アジア文化を形成する場所」として構想した思いが受け継がれ、文化遺産としての価値が再認識されています。六角堂を含む敷地一帯は登録記念物(名勝)として整備され、訪れる人々に静寂と美を感じさせています。
六角堂は、岡倉天心の思想と美意識が形となった象徴的な建造物です。五浦海岸の雄大な自然とともに、日本美術の近代化に挑んだ天心や弟子たちの情熱を今に伝えています。震災を乗り越えて甦ったその姿は、過去と未来、自然と芸術を結ぶ「生きた文化遺産」として、多くの人々に感動を与え続けています。